『豊臣秀次』

 -「殺生関白」の悲劇-

小和田哲男 著

PHP新書 刊

2002年3月29日(初版)
249ページ

評 価
★★★

著者は1944年静岡県生まれ。早稲田大院卒、静岡大教授。著書に『桶狭間の戦い』『三方ヶ原の戦い』『戦国合戦事典』『徳川秀忠』『明智光秀』『戦国武将』など多数。
中世日本史の研究者として著書が多数あり、マスコミへの露出度も高く、この分野では第一人者とされている。

本書は、千人斬りなどの悪行、叔父・秀吉への謀反の企て……果たしてこれらは真実なのか?
秀次の切腹以後、秀吉を正当化する史料だけが残った。だがそれらを厳正に検証すれば、城下繁栄や学問・芸術振興における秀次の功績が認められ、思慮・分別と文化的素養を備えた人物像が浮かび上がる。そして関白の地位に就くも、突然でっちあげられた謀反事件。それは豊臣政権の主導権争いの結末だった。
幼少より人質となりながらも、秀吉の後継者として期待に応えた秀次。しかし、秀吉にとって邪魔な存在となるや汚名とともに処罰された。その実像は暴君というよりむしろ秀吉の政略に翻弄された犠牲者ではないだろうか。
本書は、秀次の養子時代、武将としての活躍、城主としての功績、後継者としての立場、文化人・芸術家としての事績など、様々な角度からその人間性を考察し、謀反事件の真相に迫る。秀吉の引き立て役として歴史上否定され続けた「殺生関白」の復権に挑む一冊。」
というもの。

かなり評判の悪い豊臣秀次だが、その伝記本としては貴重である。

ただ、藤田恒春氏や諏訪勝則氏らの、先行する諸論文がかなり参照・引用されている。また、『石田三成』と同様に、通説を覆すことに主眼が置かれすぎの気がする。

著者は「贔屓のひき倒しになることだけは避けたい」(242頁)と言ってはいるが、太田牛一『太閤さま軍記のうち』に書かれている秀次の悪行の数々について、「史料としての信憑性は高いわけであるが、秀吉の行為を正当化するために、ことさら秀次の悪行をでっち上げた感がある」(233頁)と述べ、都合よく解釈しているきらいが否定できない。

著者曰く
「本書で私が一番強調したかったのは、何としても秀次の復権をはかりたいという点であった。秀次事件は、私にいわせれば冤罪事件であり、秀次の無実を証明するため、ありとあらゆる史料・文献にあたったのもそのためである。」

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城と古戦場

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