『武田勝頼』
柴辻 俊六 著 |
新人物往来社 刊 |
2003年12月30日(初版) |
評 価 |
著者・柴辻俊六氏は、1941年山梨県中巨摩郡竜王村生。文学博士。1964年早稲田大学教育学部卒。同大学院文学研究科史学専修修士課程修了。早稲田大学図書館勤務。早稲田大学、法政大学大学院、國學院大學、日本大学において非常勤講師。日本古文書学会運営委員・評議員、山梨郷土研究会理事などを歴任した(『Wikipedia』)。 甲斐武田氏の研究で著名で、著書が多数あり、また地方誌『山梨県史』『大月市史』『大田区史』『国分寺市史』『甲府市史』『都留市史』などの編纂もされている。 本書は、 [要旨] 甲斐武田氏研究の重鎮が、武田勝頼についての伝記を纏めた一冊。「今回もこれを参考としつつ、これを超えることを目標とした」と述べているように上野晴朗『定本 武田勝頼』の後続と位置づけられる書籍だが、専門家が記した数少ない勝頼の専著として貴重である。 しかし、『人物叢書 真田昌幸』でも言えたことなのだが、人物伝記として一番重要な部分、勝頼なら”長篠の戦い”になると思うが、高柳光壽『長篠之戦』、太向義明『長篠の合戦』の参照を促すだけで、合戦の詳細は検討されていない。勝頼について一番知りたい箇所だけに残念である。(最後の天目山、田野の合戦についても同じ) それはともかく、全体的にかなり堅い内容だが、史料に基づき信頼できる。もっとも、いくつか独自の説も散見され、武田信玄の死因で必ず引用される『御宿監物書状』を、「ほとんど検討に値しない程度の後世の創作物と判断される」と言っておられる(105頁)。また、有名な『勝頼氏夫人願文』も「検討の余地はあるが、これは後世の創作物と判断される」と言う(183頁)。
また、勝頼に対しての評価は、概して手厳しいものがある。 「相手方の情報把握などもふくめて、情勢判断が全く出来ていなかったということになる。どうもこの辺に勝頼の三代目としての甘さと過信による楽観主義が読み取れる」(長篠につき・96頁) 「勝頼の三代目としての凡庸さ」(父没後にも「晴信」朱印を使用した事につき・144頁) 「全く問題外の施策」「余りにも無為無策な所為」(新府城への遷都につき・212・217頁) 「最近急上昇してきている勝頼再評価論には、贔屓の引き倒しの感を強くする」(あとがき・255頁) |