『戦国乱世』

<対談>

角川選書

海音寺潮五郎
桑田忠親
 (著)

角川選書 刊

昭和44年8月30日
242ページ 400円

評 価
★★★

海音寺潮五郎(かいおんじ ちょうごろう)氏は作家・小説家。本名は”末富 東作”(すえとみ とうさく)。明治34年鹿児島県伊佐郡大口村(現・伊佐市)生まれ。大正15年國學院大卒。昭和11年直木賞受賞。その後、歴史知識を駆使した作品を発表。昭和43年菊池寛賞を受賞。昭和52年没。

桑田忠親氏は、戦国史研究の大家であり、高柳光寿氏と並び評される高名な歴史家であった。明治35年生まれ。昭和62年没。大正15年國學院大學卒。東京大学史料編纂官補、立教大学講師を経て、國學院大學教授。文学博士、日本古文書学会評議員などを歴任。
『千利休』『太閤秀吉の手紙』『明智光秀』『淀君』など多数の著書があり、NHK時代劇ドラマの時代考証も担当。 特に茶の道研究の権威。

本書は、当時、戦国史研究の重鎮であった桑田氏と、歴史小説を数多く出していた海音寺氏の戦国時代に関する対談を残したもの。

さすがに、両者とも該博で、内容は多岐にわたるものの、高尚で深い会話をされている。そのような会話を、何も見ずに交わすことが出来るというのはすごいものである。

ただ、内容的には、一時代前という感想は否めないが・・・。

 

『史実と小説の間』(234ページ・抜粋)

桑田
「川中島の四度目の合戦で、謙信と信玄が一騎打ちするところがあります。あれは。そうして史実を実証する古文書がある。それは公家の近衛前嗣の謙信宛の書状に、「御自身太刀打ちせられ、名誉の至り」とはっきり書いてある。

海音寺
「あのときの状況を考えると、謙信はあせりにあせっていますね。ですから状況判断すれば、斬り込むというのは最もあり得ることですよ。ぼくが謙信の立場にいてもやりますな、これは。だれだってやるだろう。こういう状況である上に、そういう古文書があるのに、まだ否定する学者がいる。「自身太刀」とあっても、信玄の本陣に斬り込んだことはないというのですよ。学者の態度じゃない。偏執狂ですよ。ぼくはきらいです。そんな学者は。」

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