『淀君』

人物叢書

桑田忠親 著

吉川弘文館 刊

昭和33年1月20日(初版)
168ページ 900円(新版1版価格)

評 価
★★★★

著者・桑田忠親氏は、戦国史研究の大家であり、泰斗・高柳光寿氏と並び評される歴史家であった。

明治35年生まれ。大正15年國學院大學卒。東京大学史料編纂官補、立教大学講師を経て、國學院大學教授。文学博士、日本古文書学会評議員などを歴任。
千利休』『太閤秀吉の手紙』『日本合戦全集』『明智光秀』『日本武将列伝』など多数の著書があり、NHK時代劇ドラマの時代考証も担当。
昭和62年没。

本書は、言わずと知れた淀殿の伝記本。
(伝・淀殿肖像画)
近江の戦国大名・浅井長政の娘で、母は絶世の美女で織田信秀の娘・お市の方。織田信長横死後、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が羽柴秀吉に敗れると、秀吉の保護を受けその側室となる。その後、豊臣秀頼を生み、秀吉死後は豊臣家の実権を掌握。慶長二十年(1615)の大坂の陣で徳川家康に敗れ自害した、という実に波乱の人生を送った女性】

 

著者の桑田氏は、戦国史の重鎮だったが、特に豊臣秀吉、淀殿、千利休の研究では権威であった。
その桑田氏が記した淀殿の伝記であるから、多様な史料を駆使し、大変信憑性の高い内容になっているし、また、波乱の人生だけに、とてもおもしろい歴史書である。

なお、「淀君」という名前は当時の史料には一切出てこないという。当時は「淀殿」「淀の女房」「二の丸殿」「西の丸殿」と呼ばれていた。

「君」というのは江戸時代に付けられたもので、情婦・淫女を意味するものだという。(この点は小和田哲男博士が主張するところだが、異説もある。桑田氏は本書では、その意味までには言及していない。)

その点、筆者は次のとおり述べておられる(はしがき抜粋)
『淀君に関する正確な文献史料は案外に少ない。画像も確かなものが伝わっていないし、自筆の手紙も殆ど見当たらない。これまで二通ばかりあるといわれていたが、その二通とも、「あこ」という侍女の代筆だということを、こんど証明しておいた。「淀君」などとは、江戸時代の称呼であって、彼女の生存中に、そんな呼び方をされた例は一回もないのだ。しかし、われわれは、講談本や歴史小説の愛読者として、この名称に少なからず親しみをおぼえている。
 この小著は正確な文献史料にもとづいた評伝という建て前で書いたものだが、敢えて、これを「淀君」と題したのは、読者諸氏が彼女の幻影に抱いている親愛感を傷けたくないためであって、別に他意あるわけではない。』

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