下高井城
高井城とも。 下高井城(茨城県取手市下高井字馬場)は、小貝川を北に望む半島状台地に築かれた。 築城年不明とも、長治年間(1104-06)相馬小次郎重国が築城ともいう。以後、相馬氏が戦国期まで続いたとされ、建武三年(1336)相馬氏の知行地だった史料があり(『斯波家長奉書』)、ここの城主は高井氏を称した。戦国期、高井氏は古河公方足利氏に仕えて、天正十八年(1590)高井胤永は小田原北条氏に味方し、豊臣秀吉の侵攻を受け滅亡、廃城になったとされる(『日本城郭大系』『現地説明板』)。 現在、城跡一帯は大部分が宅地となり、外郭遺構は部分的にしか残っていないが、城の中心部である主郭とそれに伴う曲輪は良好な状態で保存されている(『現地説明板』)。 取手市で確認できる唯一の大規模な城郭である。台地上に本格的な遺構の一部が残っている。残存度は必ずしも完璧ではないが、そこそこに満足できるものだろう。 参考サイト(余湖くんのホームページ、美浦村お散歩団、たぶん取手ブログ) |
(現地縄張図)
(【左写真】主郭。かなり広く本格的な居住性を持つ。【右写真】主郭をめぐる土塁。)
(現地の復元図)
(【左写真】主郭虎口。平虎口だが門があったのだろう。【右写真】土塁外側には空堀がある。)
(一番雰囲気の残っている虎口の様子)
(【左写真】主郭の外の郭。いくつか郭があるらしい。【右写真】「井戸郭」。井戸が確認できない。)
(【左写真】城跡下には沼地がある。要害性を垣間見せる。【右写真】城跡遠望。)
(2010年1月3日訪問)