堀秀治陣跡

堀秀治陣跡(佐賀県唐津市鎮西町名護屋)

この陣の主である堀秀治は、その当時越前北ノ庄18万石の城主で、文禄・慶長の役には6000人の兵を率いて、開戦当時16歳の若さで参陣した。しかし、秀治自身は渡海せず、戦いの間この陣で生活した。

秀治の父である堀秀政は早くから豊臣秀吉に仕え、そも信頼も厚かったためか、子である秀治のこの陣は、本城から近く面積も11haと大規模なもの。

陣は大きく分けて6つの曲輪(平らに造成した陣の一区画)で構成させており、遺構の残りも良好で、文禄・慶長の役に参陣した武将たちの生活ぶりを今に伝えている。ただ、残念なことに生活期間が短かったために、遺物は少量しか出土しなかったという(『現地案内板』)。

陣跡ながら充実した遺構を楽しめる。

 

  

(【左写真】本曲輪跡(御殿・能舞台・茶室・庭園の跡が見られる)【右写真】本曲輪の土塁・空堀跡。)

 

(【左写真】本曲輪虎口跡。【右写真】北西曲輪の石垣跡。)

2010年1月18日訪問)

 

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