千葉城

千葉城(佐賀県小城市小城町松尾)は別名牛頭城・牛頸城・祇園城ともいわれる。

中世の小城は、鎌倉時代末期、千葉宗胤が小城に下向したため関東千葉氏の本家が支配し、戦国時代初期には小城・佐賀・杵島の3郡を支配下におき、龍造寺隆信の台頭まで威をふるった。

千葉城の築城はいつのことか明確ではないが、南北朝時代から室町時代のことと考えられる。

千葉城が荒廃するのは、文明二年(1470)の千葉氏の内乱から起こった土一揆合戦の時と、天文十五年(1546)の龍造寺家兼の馬場頼周攻略の時に大被害をうけて以来と考えられる。その結果、千葉城前の祇園川に沿って発展した小城町は衰退に向かう。

城跡は、西方から小・中・大の三つの山からなりたっているが、小・中の山は出城と考えられ、大の山が本城と考えられる(『城址案内板』)。

城跡は千葉公園となっており、曲輪群、石垣の一部が残っている。

 

 

 (【左写真】本城部分(大の山)を中の山から眺める。【右写真】須賀神社裏手に残る石垣。)

 

 (【左写真】出城跡(中の山)の城址碑(千葉公園の展望台がある)
(【右写真】出城跡(小の山は須賀神社となっている。右に向って中の山・大の山が連なる。)

(出城からの小城の町並みを眺める)

2010年1月19日訪問)

 

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