鹿島城

鹿島城(佐賀県鹿島市高津原字城内)

鹿島藩は、佐賀藩の支藩として、慶長十四年(1609)に鍋島忠茂が藤津地方2万石を与えられたのが始まり。

当初、鹿島の城は北鹿島の常広にあったが、低地のため度重なる水害に悩まされた。そこで9代藩主鍋島直彝は城を高津原に移す事に決め、文化四年(1807)に鹿島城が完成した。
城の区域は現在の城内区にあたり、北側の大手門から本丸の正門である赤門まで、鍵型の折れ曲がった道が続き、周囲には武士の屋敷が立ち並んでいた。本丸は周囲を堀・土塁あるいは塀で囲んであり、天守閣はない。本丸内部には屋敷や蔵などの各建物が複雑に並んでおり、庭園も造られている。

鹿島城は明治七年(1874)の佐賀戦争の混乱によって、赤門と番所を残して主要建物はことごとく焼失してしまい、67年という短い歴史を終えた(『城址案内板』)。

本丸が鹿島高校の敷地なっており、随所に石垣などの城の名残がうかがえる。

 

 

(赤門。本丸の正門。)

 

(【左写真】正門前に残る水堀。【右写真】赤門東側に残る石垣。)

2010年1月19日訪問)

 

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