山吹城

石見城とも。標高414m、比高240m。

山吹城(島根県大田市大森町銀山)は、戦国時代に石見銀山を支配するために築かれた山城とされる。

標高414mの要害山は独立した山で、四方とも急な斜面で囲まれる地形は軍事的に優れ、また銀鉱山の仙ノ山と銀山川を挟んで向かい合い、銀山支配に最適な位置にある。

城は、周防国の戦国大名であった大内氏によって築かれたといわれ、その後激しい争奪戦が続き、永禄五年(1562)には毛利氏が支配した。
江戸時代になると初代銀山奉行大久保長安は休役所を奉行所として使い、山吹城を普請したことや吹屋(銀精錬所)を置いたことが記録から分かるという。その後、奉行所は大森に移転して代官所となった(『城址案内板』)。

石見銀山を訪れた際に山吹城に立ち寄った。しかし、帰りのバスの時間と激しい降雨のため山頂までの登山は断念した。

(参考サイト:北の城塞


(城跡の航空写真)

  

(【左写真】登山道入口。【右写真】移築城門。城址近くの西本寺に残る。

 

(【左写真】休役所跡。【右写真】休役所跡に残る石垣。


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