龍野城

龍野城(兵庫県たつの市龍野町上霞町)は今から500年ほど前(室町時代明応の末期)鶏籠山山頂に築かれたもので、初代城主は赤松村秀であった。

以後、赤松時代は四代続いたが、天正五年(1577織田信長の命による秀吉の播州征伐の軍門に降り開城した。
その後、慶長初年に山頂にあった天守が破却されたという言い伝えがある。

江戸時代に入ると、龍野城は現在地に平山城として築かれたが、万治元年、京極高和の丸亀移転にさいして破却され、その後十四年間は天領となった。
寛文十二年(
1672)幕命によって信州飯田から脇坂安政が五万三千石で入部し龍野城を再建した。
しかし、時代は既に太平の世でもあり、また外様大名でもあったので幕府の嫌忌に触れることを怖れ御殿式の築城に決したといわれ、そのため城郭というより武装化した邸宅と考えていただければ良いと思われる。

現在の本丸御殿は昭和五十四年に再建したものだが、再建にあたっては当時を偲ぶ貴重な資料や現在残る数点の古図に基づき重建した(『城址案内板』)。

詰の城である鶏籠山城(龍野古城)は体力温存のため今回はパスした。

 

  

【左写真】大手門(復元)【右写真】搦手門(模擬

 

【左写真】本丸隅櫓(古図には描かれていない模擬)【右写真】本丸御殿(古図に基づき復元)

背後に聳える鶏籠山・龍野古城)

2010年3月31日訪問)

 

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