赤穂城

赤穂城(兵庫県赤穂市上仮屋)は、赤穂にある江戸時代の大城郭。

正保二年(1645)浅野内匠頭長矩の祖父長直が、常陸国笠間から入封し、近藤三郎左衛門正純に築城設計を命じ、実に十三年に亘る歳月を費し、寛文元年(1661)に完成したものである。

城郭の縄張りは、甲州流軍学によるもので、本丸と二の丸は輪郭式、二の丸と三の丸の関係は梯郭式になって、近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城である。

城郭の規模は、十の隅櫓、十二の諸門があり、曲輪の延長は約二、八四七メートル、面積は六万三、七一一平方メートルに及んでいる。塁石、防壁、諸門、本丸御殿が整えられ、居城としての偉容が示されたが、天守台のみ築かれて天守閣は構築されなかった。

築城当初から城内に大石邸をはじめ藩重臣の屋敷があったが、浅野家断絶後は永井家、次いで森家の居城となり、明治廃藩後、城塞は惜しくも破壊され屋敷は民有地に払い下げられたが、現在では本丸門内は大名庭園がよみがえっている。
赤穂義士の自刃250年祭を祈念に、昭和30年春、大手門、大手隅櫓と城壁の一部が復旧され、同46年3月赤穂城跡は国の史跡に指定された。以後、本丸の整備等が進められている(『城址案内板』)。

 

 

  

(【左写真】天守台(天守は当初から築かれなかった)【右写真】本丸御殿跡(南側には庭園があった)

 

(【左写真】本丸北西の隅櫓台(横矢枡形として配されていた)【右写真】本丸外堀(奥は北東隅櫓台で、本丸はここだけ隅櫓が築かれた)

 

(【左写真】本丸門 【右写真】三の丸隅櫓(復元)

 

(【左写真】三の丸内に残る大石邸長屋門 【右写真】三の丸への復元大手門(高麗門形式で内部は枡形となっている)

2010年3月31日訪問)

 

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