妻鹿城
妻鹿城(兵庫県姫路市飾磨区妻鹿)は、市川左岸の甲山にあり、別称を妻鹿城・国府山城・功山城・袴垂城ともいわれています。 初代城主は、薩摩氏長の子孫で『太平記』で有名な妻鹿孫三郎長宗です。長宗は元弘の戦(1330年頃)赤松円心に属して功を立て、その功によって妻鹿地方を領有するようになり、ここ功山に城を築いたといわれています。 その後、姫路城内で生まれた黒田官兵衛孝高の父・職隆は、天正元年(1573)に姫路城から功山城に移り居城としました。また、天正八年(1580)三木城主別所長治を滅ぼした豊臣秀吉は三木城を居城としました。 降雨の為、登城途中で断念した。遺構は曲輪跡などが残っている。 |
(【左写真】曲輪跡が数ヶ所見られる。【右写真】甲山麓に建つ城址碑。)
(【左写真】城址からの眺望。【右写真】城址遠景。)
(2010年4月1日訪問)