加古川城

加古川城(かこがわ・兵庫県加古川市加古川町本町)の城主は糟谷助右衛門(内膳とも)で、別所長治の幕下であった。

天正五年(1577)、羽柴藤吉朗秀吉が当城へ来た時、はじめて糟谷の館に入って休息し、当地方の城主のことを詳しく尋ねた。
その後、書写山に移ったが、糟谷助右衛門は、それ以来、秀吉につき従って小姓頭となった。
後年各所に転戦し、賤ヶ岳一番槍に武名を挙げたという(『現地案内板』)。

 

賤ヶ岳七本槍として名を残す糟屋武則(かすや たけのり)の居城であるが、城跡は称名寺となり、遺構は残されていない。付近の水路などの地形にその痕跡を偲ぶのみである。

 

 

(城跡の称名寺)

 (2010年4月1日訪問)

 

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