松江城
千鳥城とも。
松江城(島根県松江市殿町)は、『太閤記』などの著者・小瀬甫庵の主人であった松江開府の祖・堀尾吉晴が慶長十二年(1607)から足掛け5年の歳月をかけて、慶長十六年(1611)に築城とされる。 吉晴は関が原の合戦で東軍に属し、戦後出雲地方など24万石で入国した。当初は月山富田城に入っていたが、当時の潮流通り、交通が不便で城地の狭い山城を廃止し、宍道湖北岸の極楽寺山に平山城を建築した。 この城には人柱伝説などあるが、現在に残る貴重な残存天守閣を誇っている。 |
(城址の航空写真)
(【左写真】天守閣 【右写真】天守より松江市街を望む)
2008年9月再訪
(現地案内板)
(現存天守)
(【左写真】天守から宍道湖を眺める。【右写真】二の丸下之段。米蔵などがあった。)
(【左写真】二の丸上之段(堀尾吉晴・松平直政・松平治郷が合祀された松江神社)【右写真】中櫓(平成13年復元))
(【左写真】南櫓(平成13年復元)【右写真】太鼓櫓(平成13年復元))
(【左写真】大手門跡。【右写真】大手門前の馬溜跡。)
(【左写真】一の門。【右写真】二の門跡。右側本丸に向う。)
(内堀。左は三の丸に建つ島根県庁。)