鶴首城

標高331m 比高250m。

鶴首城(岡山県高梁市成羽町下原)は標高331mの山頂、中世の連郭式山城。

平安末期文治五年(1189)年、当地の地頭職となった河村四郎秀清が築城したと伝えられ、鎌倉時代以降成羽の庄の支配治政の拠点となった。
戦国時代の天文二年(
1533)、成羽へ進出した三村家親が、この城砦を堅固に増補構築し、当城を拠点として備中制覇を目指した備中兵乱は世に名高い。永禄四年(1561)、家親・元親父子が備中松山に進出した後、三村親成・親宣父子が城主となる。
関ヶ原戦後、岡越前守家俊在城。大阪の陣後、元和三年(
1617)に成羽藩主となった山崎甲斐守家治の時、「一国一城」の定めにより廃城となった。

本丸(東西33m、南北23m)をめぐり、全七壇で構築されており、往時を偲ぶ貴重な史蹟である(『城址案内板』)。

登山道は、北麓の太鼓丸公園から整備されている。

(参考サイト:北の城塞 ちえぞー!城行こまい タクジローの日本全国お城めぐり 城郭放浪記

 

 

 

 (【左写真】本丸に残る石垣。【右写真】本丸一ノ壇。)

  

 (【左写真】一ノ壇虎口。【右写真】本丸二ノ壇からの眺望。)

 

 (【左写真】本丸三ノ壇。【右写真】太鼓丸跡。)

 (馬場跡)

  (2010年8月26日訪問)

 

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城と古戦場 

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