竹富島 蔵元跡
-西塘居館-
竹富島蔵元跡(沖縄県八重山郡竹富町字竹富)は、八重山諸島出身の最初の頭職・西塘(にしとう)が政庁とした場所。 蔵元とは、元来「年貢を収納する倉」を意味し、それが役所、屋敷などに発展したという。 西塘は、ここで八重山の行政を統括したという。しかし、竹富島は土地が狭く、中央官庁としての地理的位置もよくないという理由で、1543年、石垣島の大川に移転した。その間、ここでの政治は20年間程度続いたとされる(『現地説明板』『沖縄県資料』など)。 しかし、なぜここを政治の中心にしようとしたのかは、よく理解できない。単に自身の出身島を占地したのであろうか? 現在の敷地は約200坪。東と南には1.5mほどの高さを持つ石塁が残っている。北方約20mのところにある岩陰には、”鍛冶跡”といわれる所も残っており、その関連が指摘される。 また、すぐ海岸に面しており(カイジ浜)、現在は”星の砂”で有名なビーチだが、往時は、多くの船が往来する政治・貿易港であったという。 |
(【左写真】蔵元跡。当時はここで政治が行われたらしい。【右写真】石垣・石塁が残っている。防御というよりは区切・区画の意図か。)
(【左写真】石塁は石灰岩か?簡単に積んだものだが、意外に崩れにくいのだろう。【右写真】皆治道路。昔の大手道のようなものか。)
(【左写真】カイジ浜。蔵元からすぐ10秒ほど。ここに船が往来したというが…。【右写真】観光客が”星の砂”を探索するのどかなビーチ。)
(2010年10月5日訪問)