フルスト原遺跡

遠弥計赤蜂居館−

フルスト原遺跡(ふるすとばる・沖縄県石垣市大浜)は、八重山の主島、石垣島の南部台地上にある城(ぐすく)状の遺構をもつ遺跡。

島民の間では、島の豪族・遠弥計赤蜂(おやけあかはち)の居城跡と言い伝えられてきたものである。石垣島の諸豪族は、14世紀末以降、首里王府に朝貢していたが、明応九年(1500)大浜邑の赤蜂は、朝貢中止を企てたため、尚真王の征討を受け、3000余人の征討軍と戦闘の末敗死したといわれる。赤蜂が住んでいたとされる大浜地区には、本遺跡のほかに城(ぐすく)跡を確認しえないし、また、この遺跡を東方宮良湾側から見た景観が、『球陽』に、首里王府の兵を迎えた赤蜂が「嶮岨を負い、大海に面して」軍勢を整えていたとある光景を彷彿とさせることなどから、本遺跡を赤蜂の居城跡とすることは十分可能である。台地東面の高さ約20メートルの絶壁上に、沖縄本島等の城のそれと類似する珊瑚性石灰岩を積んだ障壁遺構が連なり、また、同様の石壁を四囲に繞した郭状遺構が十数区画見られ、内部に中国製陶磁器や八重山焼の破片が散布し、さらに、遺跡西南部に御嶽(うたき)跡が在ることなど、城としての性格を指摘できるが、郭状遺構の配置等には特異な面もうかがえる。いずれにしても、本遺跡は、赤蜂の居城であったという伝承と相まって、沖縄の歴史を理解する上で、貴重な資料となるものである(『国指定文化財等データベース』)。

台地上にある城跡(居館跡)で、石垣の跡が残っている。周囲を眺望できる地形で豪族が住むには適した場所であろう。規模は大きかったらしく、数多くの屋敷跡が残っている。しかし、石垣のほとんどは崩落したようで、現在見られるのは最近積み直されたものばかりである。城としての防御設備はあまり窺えず、屋敷を区画する石垣のみが配されているあたり、堀を多用する本土の史跡との差異は明らかである。いずれにせよ石垣島で最も優れた城跡である点は疑問がない。

 

   

(【左写真】遺跡の入口から見たところ。【右写真】「1号石塁」と呼ばれている石垣。)

 

(【左写真】「1号石塁」と呼ばれている石垣。虎口がある。【右写真】石塁の内部。発掘中か?)

 

(【左写真】石垣。石灰石なのか珊瑚岩なのか?【右写真】ゴツゴツした石なので簡単に積むだけでも良さそうだ。)

 

(【左写真】周囲への眺望は良い。【右写真】現在も積み直されている。)

 

(【左写真】規模は大きかったらしく、崩れた石垣もある。【右写真】入口の木碑。)

  (2010年10月6日訪問)

 

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城と古戦場 

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