庭瀬城

庭瀬城(岡山県岡山市北区庭瀬)は、室町時代の末頃(約400年前)、備中松山の三村元親は備前の固めとしてこの地に築城した。付近の地名から芝揚城とも呼ばれた。

一帯は泥沼地で非常な難工事であった。その後、慶長七年(1602)宇喜多の重臣・戸川肥後守家達が入り、古城を拡げ、城下町を整えた。
元禄十二年(
1699)板倉氏の居城となり明治を迎えた。自然石の石垣をめぐらした堀もよく残り、沼城の典型を示している。寛政五年(1793)板倉勝喜は城内に清山神社を建て、板倉氏中興の祖重昌、重矩父子を祭り歴代の遺品を収蔵した(『城址案内板』)。

住宅地の中に水堀の巡る城跡がポツンと現れます。しかし、航空写真で明らかなように、壮大な城郭であったことが偲ばれる。

 

 

 (城内に建つ清山神社と城址碑)

(周囲を水堀が巡る)

  (2010年8月27日訪問)

 

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城と古戦場 

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