倉敷代官所

倉敷代官所(岡山県倉敷市本町)の附近一帯は「小野が城」または「城の内」と呼ばれ、戦国時代の砦跡といわれる。

慶長五年(1600)関ヶ原の合戦で東軍が勝利を得てから、この地は徳川幕府の直領(天領)となった。慶長十九年(1614)大阪冬の陣に備中国総代官小堀遠州は幕府の命をうけ、兵糧米十数万石を倉敷湊から大阪に積み出すため、ここに屋敷を構えて陣屋をとした。

それ以来、倉敷湊は急速な発展を遂げ、寛永十九年(1642)に陣屋は倉敷代官所となり、初代幕府代官・米倉平太夫が赴任してきた。それより明治維新にいたる二百余年間、倉敷代官所は備中(倉敷)美作(久世)讃岐(塩飽諸島)の天領を支配する枢府となった(『現地案内板』)

倉敷代官所です。昔の砦跡であったということで

 

 

(代官所図)

 

 (【左写真】僅かに残る内濠跡。【右写真】代官所の石碑。)

  (2010年8月27日訪問)

 

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城と古戦場 

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