帖佐館
帖佐館(ちょうさ・鹿児島県姶良市鍋倉字都) 文禄四年(1595)、栗野から帖佐に移った島津義弘は、平山城の麓、帖佐鍋倉宇都に館を築いて国守の治所とした。それが現在「御屋地跡」と呼ばれている所。 高さ二間ほどの野面積みの石垣が残っており、その南側が昭和三十七年姶良町の文化財に指定された。この御屋地造営のおりには、蒲生地頭阿多長寿院が真っ先に大石を運ばせたといわれ、また前面の石垣中には義弘の羽織掛石も見られる。 関ヶ原より帰ってのちの慶長十二年(1607)、義弘は加治木へ移り、島津豊後守久賀を帖佐の地頭としている(『日本城郭大系』)。 館跡は稲荷神社となっており、「惟新公邸址」の碑が建つ。神社の南側に石垣が良好に残存。 |
(惟新公邸址の碑)
(【左写真】館跡は稲荷神社となっている。【右写真】良好に残る石垣。)
(2010年9月15日訪問)