内城

内城(鹿児島県鹿児島市大竜町)は、後の鹿児島城の東北、清水城の西南の地で、上龍尾・下龍尾・池上の諸町にまたがる高所に位置した。

島津氏十六代の貴久の時、勝久の跡目相続を争った実久を破って鹿児島周辺の防衛態勢が一応整った段階に至って築城されたものである。貴久が伊集院から鹿児島に移った理由は、もはや薩摩半島方面では兵を動かす必要がなくなったこと、今後兵を動かすとすれば大隈半島から北薩にかけてであり、また日向の伊東氏と対抗するにも鹿児島が便利であったということ、ポルトガル船漂着後、海外貿易のことを考えれば伊集院の山の中では不便であったこと、などがあげられよう。しかも鹿児島は膨張する城下町に対応しうるし、かつまた三面山に囲まれた要害の地でもあったのである。

島津氏は慶長七年(1602)に鶴丸城に移るまでこの内城に居を構え、三国(薩摩・大隈・日向)の統一を成し遂げ、さらに九州一円の征覇に乗り出した。そのため秀吉の征討を受けてこれに屈し、以後、朝鮮出兵や関ヶ原の戦に参加したのである。内城の規模・形状を示す直接的史料はみられないが、知りうる限りの間接的史料で判断すると、その形態は簡素な屋形造りで、移転先の鶴丸城とは比較にならないほど城郭的要素の乏しいものであったという(『城址案内板』)。

城跡は大竜小学校となっていて、遺構は皆無である。

 

 

(城跡の大竜小学校)

  (2010年9月15日訪問)

 

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城と古戦場 

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