上山城

上山城(★鹿児島県鹿児島市城山町)は、現在の城山の山頂に造られた山城であった。

南北朝期に豊州緒方(大分地方)の土豪・上山氏が、鹿児島入りして築城したものである。
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、薩摩・大隈・日向の三国一帯の大荘園の守護職に島津忠久を任じたが、島津家は三代の久経まで鎌倉を離れず、そのためこの三国の地には土豪が割拠していた。上山氏もそうした土豪の一人だったのである。

上山氏は正平年間(134683)に桜島に居を移したが、その理由は、なんらかの形で島津氏の力に屈したためといわれている。桜島に移ってからの上山氏の消息は不明であり、かつまた城山も二百五十年後に島津家久が鶴丸城を築城するまでそのまま放置された(『日本城郭大系』)。

鶴丸城の背後の山が城跡です。遺構はありません。中世豪族上山氏の居城というより、西南戦争最後の激戦地としての色合いが濃いようです。

 

(案内図)

 

(【左写真】本丸跡(皇太子行幸記念碑がある)【右写真】城址から眺める桜島。)

 

(【左写真】遊歩道として整備された登城道。【右写真】城址遠景)

  (2010年9月16日訪問)

 

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城と古戦場 

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