平佐城

平佐城(ひらさ・★鹿児島県薩摩川内市平佐町藤崎)の最も古い記録『御家五代古城主来由記』に、薩摩太郎忠友居城のことが記されている。この城に鎌倉中・末期の頃、薩摩氏の系統が居城したことは事実であろう。

十五世紀末から、この城は入来院氏の所有に帰し、天文元年(1532)の頃は入来院十二代の当主重朝が一時居城したこともある。

元亀元年(1570)、入来院・東郷の両氏は島津氏に所領を献じ、降を請うた。島津義久は直轄地として地頭を置いて統治させた。

天正十五年(1587)、豊臣秀吉の征西の時、桂忠ムがこの城に立て籠もり、寡兵よく秀吉の大軍と戦ったことで、この城は有名となった。島津氏を南九州に追い詰めて、付近の諸城は秀吉の大軍を恐れて降ったのに、桂忠ムはおよそ三百の兵をもって固く平佐城を守り、降らなかったのである。島津義久は使者を送り、忠ムに矛を収めるように勧め、ようやく開城した(『日本城郭大系』)。

戦後の宅地造成や市街地化で遺構は全くない。城址二の丸であった平佐西小学校に碑が建つのみである。

 

 

(城址碑のみが残る)

  (2010年9月16日訪問)

 

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城と古戦場 

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