清色城

清色城(きよしき・★★鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名麓)

入来(いりき)の歴史は宝治元年(1247)に下向してきた渋谷定心から子孫によって受け継がれ、明治維新までの約620余年間の入来院氏(渋谷氏)の動向を記してある『入来文書』等によって知ることができます。
渋谷氏が居城した清色城の成立時期は明確ではありませんが、入来文書等から検出すると永和年間頃(南北朝末期)に「清色殿」と記載されていることから、その頃の築城と推定されます。また麓集落についても、ほぼ同時期に成立したと考えても差し支えないでしょう。

清色城の規模は南北約650m、東西約840m、面積247552uで、南九州の中世山城では中規模な面積です。南九州独特の土質であるシラス火山灰の自然地形を巧みに利用しており、人工的に手を加えた空堀を造り、曲輪を単体に独立させた造りになっています。現在、言い伝えにより判明している曲輪の名称は、本丸・西之城・松尾城・中之城・求聞寺城・物見之段の6つです。その他の曲輪の名称は不明ですが、清色城跡には77つの平坦面が確認されており、大小16の曲輪群で構成されています(『城址案内板』)。

入来小学校背後の山が城跡。浸食谷を空堀として独立した丘陵が並ぶシラス台地独特の城である。整備されておらず、藪化が激しい。暗くて怖かった。霊的なものにとり憑かれた気さえしてくるような雰囲気…。

 

 

(【左写真】本丸跡(鬱蒼と木々が生い茂る)。【右写真】空堀跡(シラス台地特有の浸食谷を利用している)

 

(【左写真】登城道入口の細い岩盤間の通路・切通し。【右写真】城址遠景。)

  (2010年9月16日訪問)

 

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城と古戦場 

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