貝殻崎城

貝殻崎城(★鹿児島県南さつま市金峰町宮崎)鮫島城とも。

平安時代の終わり頃、駿河国の武士・鮫島四郎宗家は、源頼朝による平家追討の戦いで活躍します。その功により、頼朝が征夷大将軍となった建久三年(1192)阿多郡の地頭に任じられます。
貝殻崎城は鮫島氏の本拠として阿多郡統治の中心となった場所です。南北朝時代になると鮫島氏は南朝方にたって島津氏などと争います。貝殻崎城でも合戦が行われました。その後も鮫島氏は反守護の立場を保ちますが、応永二十七年(
1420)ついに島津氏の家臣となる道を選ぶことになります(『城址案内板』)。

ここは偶然通りかかった城です。日本城郭大系にも載ってなく、城址碑に「小泉純一郎書」と記されているものの、詳細は不明。

城跡は台地の突端にあり、水田や畑に囲まれ、遺構は残っていないと思われます。

 

  

(【左写真】城址碑(なぜか小泉純一郎書と刻まれている…)。【右写真】城址は低地に臨む台地の突端にある。)

 

  (2010年9月16日訪問)

 

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城と古戦場 

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