新谷藩陣屋

新谷藩陣屋(★愛媛県大洲市新谷町)

寛永十九年(1642)、新谷藩初代藩主となった加藤直泰は、大久保川を付け替えて、藩主や家臣の屋敷・町人住区等の区割りを行い、庭園からの水を防火用にするなど、陣屋の体制を整えた。
新谷藩は、武術とともに学問を奨励し、中江藤樹の教えや和算の普及に勤め、廃藩置県(明治四年)まで続いた。この陣屋跡に、学制頒布(明治五年)によって、新谷小学校の前身である「令教小学校」が設立された。「令」の字は、九代藩主加藤泰令の徳をしたってその一字が付けられた。この藩から、和算学者別宮猶重、蘭医鎌田明澄、産業の発展に尽くした岡丈四郎(岡大明神)、儒学者児王輝山・宇都宮龍山、国学者平田(翠川)銕胤(かねたね)、明治維新に活躍した香渡晋(こうどすすむ)、宮脇通赫(みちてる)等を輩出し、学問を重んずる気風が藩の伝統となった(『現地案内板』)。

新谷藩陣屋です。陣屋跡の新谷小学校の敷地が思いっきり工事中でした・・・。

 

  

(【左写真】陣屋跡は新谷小学校の敷地となっている。【右写真】謁見所であった麟鳳閣。)

 (2011年1月13日訪問)

 

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