津和野城
標高367m、比高210m。一本松城、三本松城、石蕗城とも。 津和野城(島根県鹿足郡津和野町後田)は、初め一本松城といい、のち三本松城と改めた全国でも有数の山城跡である。 築城は、弘安の頃、この地の地頭として鎌倉幕府から補任された吉見三河守頼行の永仁三年(1295)に始まり、二代・頼直正中元年(1325)に完成したと伝えるが、まだその頃にはいまのような構えではなかったであろう。 本丸は海抜367m、近世の絵図面などによると本丸を中心に城門六、櫓が十四あったことが分かるが、天守は貞享三年(1686)落雷のため焼失してから、ついに再建されるはなかったという。 「津和野三本松城跡観光リフト」で楽に城址まで訪問できる。 |
(城址の航空写真)
(現地案内図)
(【左写真】三十間台〔本丸〕跡 【右写真】三十間台虎口 )
(【左写真】本丸からの眺望。【右写真】本丸から人質櫓跡〔手前〕)と三の丸〔奥〕)を眺める。)
(【左写真】天守台跡〔天守台は二の丸にある〕【右写真】天守台石垣 )
(【左写真】三ノ丸 【右写真】三の丸馬立〔手前〕と台所跡〔奥〕)
(【左写真】人質櫓石垣〔三の丸から〕 【右写真】太鼓丸 )
(【左写真】三段櫓跡石垣 【右写真】西門跡 )
(【左写真】東門跡〔亀井氏の代に大手門となった。H20年現在整備中。【右写真】南門跡〔三の丸内部から〕)
(【左写真】出丸 【右写真】出丸は家老・浮田織部が築城の指揮をとったことから織部丸ともいう。)
(【左写真】出丸石垣 【右写真】出丸虎口 )
(城址遠望)
(【左写真】嘉楽園〔山麓にある藩主亀井邸宅〕跡 【右写真】物見櫓〔藩主が祭礼等の催し物を見物した〕)
(馬場先櫓。藩邸にあったものだというが江戸時代後期のものらしい。)