豊前 馬場城

馬場城(★★福岡県豊前市大字馬場)は、豊前宇都宮氏の一族・仲蜂谷氏居城で、『宇都宮大系図』によれば、宇都宮信房の五男、家信がはじめて仲蜂谷氏を名乗ったと記されています。

山頂にある城跡はよく保存されていて、四つの区画からなり全容がよくわかります。まず山頂は西端を二条の堀切を設けることによって尾根を断ち切り、その内側に32×19mの曲輪と、大土塁を見ることができます。本丸は24×20mほどの広さを持ち、北から東にかけて幅5から10mの空堀と帯曲輪が周囲をめぐっています。
また本丸の東側には
22×21mの平坦面をもつ二の丸があり、その先はやはり堀切で区画されています。

仲蜂谷氏については、『豊前志』や『則行青木之家譜』に記録が見られ、城主・仲蜂谷尾張守宗鎮なる人物が弘治二年(1556)、大友宗麟の豊前侵攻の時に、一族の則行主計正鎮実、青木弾正忠鎮国と共に福間江(椎田町)で大友の大軍と戦ったが、敗れ討死、宗鎮の遺骸は上の河内(椎田町)の妙光寺に葬られたと記されています。天正十六年(1588)馬場城は黒田孝高の軍勢に攻められ、落城したとされています(『城址案内板』)。

九州征伐で黒田孝高が攻撃した城です。城跡は城山櫻公園となっていて、本丸周囲に土塁や空堀などの遺構を確認できた。

 

 

 (【左写真】本丸跡。【右写真】本丸に残る土塁。)

 

(【左写真】本丸からの眺望。【右写真】本丸を囲う空堀跡。)

 

(【左写真】二の丸跡。【右写真】城址遠景。)

 (2011年3月3日訪問)

 

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城と古戦場 

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