豊前 旭城

旭城(★福岡県豊前市大字千束)

慶応二年(1866)八月、小倉小笠原藩(十五万石)は、長州軍との戦に敗れ、自らの手で小倉城と篠崎藩邸を焼いて逃れた。
分家の千束一万石の藩主貞正は、同年十一月、領内安雲の光林寺に入り、明治二年塔田原に館の建設を始め、翌三年十月に完成し、ここに移り、旭城と名付けた。

現存の城跡石垣は、その当時、千塚原古墳の石を使用したものである。明治四年の廃藩置県により、わずか一年ほどの千束藩の館であった(『城址案内板』)。

 

旭城です、明治期の城ですが。城跡は千束神社となっており、神社を囲う石垣以外の遺構はない。

 

 

(城跡石垣)

 (2011年3月3日訪問)

 

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城と古戦場 

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