豊前 旭城
旭城(★福岡県豊前市大字千束) 慶応二年(1866)八月、小倉小笠原藩(十五万石)は、長州軍との戦に敗れ、自らの手で小倉城と篠崎藩邸を焼いて逃れた。 現存の城跡石垣は、その当時、千塚原古墳の石を使用したものである。明治四年の廃藩置県により、わずか一年ほどの千束藩の館であった(『城址案内板』)。
旭城です、明治期の城ですが。城跡は千束神社となっており、神社を囲う石垣以外の遺構はない。 |
(城跡石垣)
(2011年3月3日訪問)