池永城
池永城(★ 大分県中津市上池永) 池永氏は宇佐公池守の子宇佐権大宮司式佐の後裔で、薦神社の池守となった。天正の初期には池永左馬頭重則の居城であり、大友宗麟の豊前攻めに降った。 大友氏滅亡のとき、黒田勢は寒江堂を本陣として池永城を囲んだ。重則は一族はもとより大貞八幡の神官・社僧を動員して総勢八百五十人で籠城、寄せ手の軍勢は三千、城門から打って出ては引きさがり、攻防を繰り返した。 遺構は全くなく、現在は住宅地となっている。 |
(城跡と推定される場所)
(2011年3月3日訪問)