豊後 安岐城
安岐城(あき・★★大分県国東市安岐町下原字古城) 大友親秀の弟・泰広が田原荘に入り田原氏と称したが、四代・貞広のとき国東町に飯塚城を築き、七代親幸のときに飯塚城の別城として海に臨む台地の上に安岐城を設けた。城跡は東が海、南に安岐川の流れ、西北には水堀を設けて守りを堅くしてある。 田原親幸は永享三年(1431)、大友氏の軍に従い、周防の大内氏との戦いに出陣して筑前で戦死した。天正八年(1580)、田原親貫は大友氏に叛旗を翻し国東で挙兵、麾下の水軍で府内の大友氏の本拠地を攻撃しようとした。 城址は、住宅地に埋没しているが、本丸周辺の土塁と空堀が良好に残る。 |
(城址復元想定図)
(【左写真】本丸(右側)を巡る空堀【右写真】本丸を囲う土塁)
(土塁上に建つ天満社)
(2011年3月30日訪問)