鶴崎城

鶴崎城(★ 大分県大分市南鶴崎)

鶴崎小・鶴崎高校のある付近一帯は鶴崎城のあったところです。豊後の国主大友宗麟の重臣吉岡宗歓は鶴崎地方を領有し、千歳(大分市)に城を構え、後に鶴崎のこの地に居館を営みました。これが鶴崎城の創始といわれています。
天正十四~十五年(
158687)大友・島津の戦いの折、吉岡妙林は婦人でありながら城を守り、これを堅固にし、城兵を激励、敵をあざむく計画をめぐって、島津軍を乙津川に襲撃、ついに潰滅させた。これが鶴崎城の戦いで、妙林の女将としてのほまれは後世に語り伝えられています。
慶長六年(
1601)鶴崎その他が肥後熊本領となったので、藩主加藤清正は鶴崎城跡を改修して、この地をお茶屋としました。お茶屋というのは藩主が領内を巡視したり、参勤交代で江戸に往来する時の宿泊所です。その後寛永九年(1632)、加藤氏にかわって細川氏が肥後藩主となりましたが、お茶屋はそのまま引き継がれました(『城址説明板』)。

妙林尼の奮闘で知られる城跡。鶴崎小学校の校庭側の門内に石碑と案内板があるが、遺構は全くない。

 

(城址・お茶屋跡の碑があるのみ…)

  (2011年3月30日訪問)

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城と古戦場 

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