大友浜脇館

大友浜脇館(★ 大分県別府市浜脇)は、別府市を一望する国鉄東別府駅の裏手高台の、現在、浜脇中学校が建っている地にあったといわれている。

天文十九年(1550)、大友義鑑は嫡子義鎮(宗麟)を遠ざけ、側室の子に家督を譲ろうとはかったが、義鎮派の武将に襲撃され、大友館で義鑑と側室及びその子は殺害された。いわゆる「大友二階崩れの変」である。
当時、大友義鎮(宗麟)は別府の浜脇温泉に湯治に出かけていたと、『両豊記』その他の戦記には書かれているが、当時の情勢から考えて、そんな呑気な状況ではなかったはずである。おそらく義鑑のために浜脇館に幽閉されていたとみる方が妥当であろう。

慶長五年(1600)、豊後の地復活をめざす石垣原合戦に出陣する大友義統は、この館を焼き払って出陣したという(『日本城郭大系』)。

城跡は浜脇中学校の敷地となっており遺構はない。

 

(浜脇中学校)

  (2011年3月31日訪問)

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城と古戦場 

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