上原館

上原館(西山城)(★★ 大分県大分市上野丘西)は、鎌倉時代から戦国時代まで、豊後守護として君臨した大友氏の居館が置かれていたところです。

館跡は東西約130m、南北約150mの長方形からなり、北西に主郭の出入口を固めるための枡形を設け、南と西側には10m25mほどの幅をもつ土塁を盛り上げ、この基底部に沿って空堀を掘り出していました。また、東側と北側にある自然の崖地も巧みに利用して館内への敵の侵入を防ぐ工夫をしています。
築造の時期は不明ですが、戦国時代末まで利用されました。大友宗麟の父・義鑑は「大友二階崩れの変」で横死しましたが、当時二階建ての館であったことが推察されます。大友氏をしのぶ重要な遺跡です(『現地説明板』)。

館跡は住宅地に埋もれているが、土塁・堀跡が僅かに残り、天満社が建つ。従来はこの上原館が大友氏の中心的居館で、「二階崩れの変」もこの場所で発生したと考えられていた。しかし近年の発掘調査の結果、上原館の北方に庭園や大寺院を配した大規模な居館の存在が明らかになった。大分市教育委員会の調査の推移を見守りたい。

 

 

(【左写真】城址碑。【右写真】城址南側の土塁・空堀跡。)

  (2011年3月31日訪問)

戻る

城と古戦場 

inserted by FC2 system