お茶屋屋敷

お茶屋屋敷(岐阜県大垣市赤坂町勝山)は、慶長九年(1604)徳川家康が、織田信長の造営した岐阜城御殿を移築させた将軍専用の休泊所跡である(『城址案内板』)。

お茶屋屋敷は中山道の道中四里毎に造営され、周囲には土塁・空濠をめぐらし、その内廊を本丸といい厳然とした城郭の構えであった。
現在ここが唯一の遺構で、その一部を偲ぶことができる交通史上重要な遺跡である(『城址案内板』)。

現在は個人の所有となっており、数多くのボタンが植えられ、東海有数のボタン園として一般開放されている(『大垣市HP』)。

関ヶ原後の将軍の休憩所だが、堀や土塁などの城郭遺構を良好に残している。

家康は勝山(関ヶ原合戦の本拠)から歩いて5分くらいのこの場所に屋敷を造営し、合戦当時を偲んだのかもしれない。


(跡地の航空写真)

 

(【左写真】お茶屋屋敷入口 【右写真】井戸跡 )

 

(【左写真】土塁跡 【右写真】空堀跡 )

 

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