緒方館

緒方館(★ 大分県豊後大野市緒方町上自在)

源平争乱時代、豊後大神氏一族である緒方三郎惟栄は源氏のために活躍した武将である。

寿永二年(1183)木曾義仲に追われた平家は、都を落ちて九州の大宰府に着いた。惟栄は使者を大宰府に派遣し、院の命令によって平家は九州から退去せよと迫った。しかし平家はこれを拒絶したので、惟栄は三万余騎の軍勢で大宰府を攻め、平家を追討した。元暦元年(1184)、惟栄が九州における平家方の拠点宇佐神宮を焼き討ちするという事件がおこり、惟栄は上野の沼田荘に流された。しかし惟栄は平家討伐に功があったということで翌文治元年(1185)許された。文治元年の平家滅亡後、源頼朝と義経は不仲となった。義経は九州に逃れることになり、後白河院は惟栄に義経の護衛と先導を命じた。九州に向かった船は暴風雨に遭って難破し、軍勢は四散し、義経の九州入りは実現しなかった。惟栄は生還したらしいがその後の消息は不明である。
館は緒方平野の田んぼの一角にわずかに残っているが、緒方川とその支流石垣川に挟まれて、当時は相当広範囲に及んでいたものと思われる(『日本城郭大系』)。

城址に記念碑が建つのみで遺構はない。

 

 

(城址碑が建つのみ…)

 

  (2011年3月31日訪問)

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城と古戦場 

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