久留島陣屋

久留島陣屋(くるしまじんや★★ 大分県玖珠郡玖珠町森)

久留島氏は村上水軍の後裔河野姓であったが、康親公のとき来島と改めた。来島氏は瀬戸内海の水軍として秀吉の文禄の役に参加したが、艦船の劣勢で苦戦、来島通総・通之ともに戦死した。
のちの関ヶ原合戦には西軍に属したので、来島一万二千五百石から玖珠郡の森に移封された。海の活躍の場を奪われて山深い玖珠に封じ込まれたのである。

慶長六年(1601)、来島康親が森に封ぜられて初代となり、二代通春のとき来島を久留島に改めた。第八代久留島通嘉は三島神社の改築ということで、文政七年(1824)から天保八年にかけて館を城郭風に改造して庭園も築いた(『日本城郭大系』)。

陣屋跡は三島公園となっている。石垣・門・庭園・茶室が残る。門の確認を失念してしまった…。

 

  

(【左写真】栖鳳楼(茶室で天守的な存在であった)【右写真】庭園。)

(石垣も随所に見られる。)

 

  (2011年4月1日訪問)

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城と古戦場 

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