龍王陣屋

龍王陣屋(★ 大分県宇佐市安心院町龍王字古城)

慶長五年(1600)、関ヶ原の戦ののち、細川忠興は中津城主となり、その臣飯川豊前を城代として龍王城においた。同八年二月、忠興の弟与八郎幸隆が一万石で龍王城となったが在城五年で死亡したので、跡は一族の長岡好重・重政父子が城代となって治めた。寛永九年(1632)、細川氏が熊本に移った後には小笠原秀政の四男松平重直が入った。重直は慶長六年、信濃に生まれ、将軍秀忠の命で松平重忠の養子となり摂津三田に移封された。さらに小笠原一族の縁で寛永九年、三万七千石で宇佐龍王城に入った。
当時、龍王城は荒廃していて、住める状態ではなかったので、重直は寛永十年には高田芝崎の角屋三郎左衛門方に宿泊し、家中の者は龍王近在の新原から中山までの村々の百姓家に分宿するというような有様であった。

寛永十一年、龍王山麓に陣屋を構築し、堅固な石垣をむぐらした。寛永十四年、島場の乱が起こり、重直は翌十五年、中津・小倉の軍と共に出陣した。同十七年、高田に移封されたので、そののち、しばらくは幕府直轄領となったが寛文九年(1669)、島原領となった(『日本城郭大系』)。

現在は石垣が残るのみである。

 

 

(草木に埋もれる城址碑)

(陣屋石垣)

 

  (2011年4月1日訪問)

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城と古戦場 

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