飯塚城

飯塚城(★ 大分県国東市国東町安国寺)は、田原家の本流、田原貞広が正平年間(134669)に築城して十代、二百三十年間の居城であった。

田原氏は氏能の時代をピークに、しだいに大友家から快く思われず、武蔵田原家の親賢(紹忍)と対立するようになり、ついに天正八年(1580)の暮れから、田原親貫に対して大友宗麟は討手を差し向け、十か月にわたる攻防のすえ、田原家は滅亡する。
宗麟は次男親家に田原家を継がせ、国東に送り込んだが、田原親貫に恩を感じていた安岐郷の者は実際寺に籠もって親家に対抗した。しかし清田鎮忠以下二千三百余騎の攻撃の前に、寺は焼かれ宗徒の多くが戦死した。
親家はその後、門司城に移ったので、争乱の国東も平静にかえったという(『日本城郭大系』)。

城跡は国東小学校の敷地となっている。石垣が僅かに残るらしいが確認はできなかった。

 

 

(国東小学校。独立した丘陵となっている)

 

  (2011年4月1日訪問)

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城と古戦場 

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