水城

水城(みずき・☆福岡県太宰府市水城1丁目)は、西暦664年博多湾側から攻め入ることが予想された唐・新羅軍に備えて造られた防御施設。

東西に2つの門があり、平成六年-八年に九州歴史資料館によって西門の周囲が発掘調査され、当初建てられた西門が八世紀前半と八世紀中頃以降の二回建てられたことが分かりました。初めは実戦に備えた簡易な門でしたが、三回目の門は敵の侵攻の恐れがほぼ無くなり、見かけを重視した二階建て風の立派なも楼門になったようです。また、門の両側にある土塁断面では「版築」と言って、粘質土と砂質土を交互に積んで締め固めた様子が観察されました。さらに、この調査で、西門から鴻臚館までほぼ直線的に伸びる官道(古代の国道)跡も見つかりました。しかし、土塁前面にあるとされていた堀がこの官道より東側では見付かりましたが、西側では見付かりませんでした。一方、土塁の西側付け根部分の高台では、望楼(見張り所)の可能性のある建物が見付かり。まだ謎の多い水城跡ですが、発掘調査によっていろいろなことが分かってきました(『現跡案内板』)。

古代から中世にかけての古い城址だという。元寇防塁時代においても改修されたという古代の日本を代表する史跡と言っていいのだろう。昔の日本の中心は福岡だったのであろう。

今回は時間の都合もあって外観を流しただけで遺構は確認していない。

 

  

(【左写真】城跡遠望。【右写真】城跡石碑。駐車場も設けてある。)

 

 

  (2011年8月18日訪問)

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城と古戦場 

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