座喜味城

座喜味城(ざきみ・★★★沖縄県中頭郡読谷村字座喜味)跡は15世紀の初頭、築城家としても名高い読谷山按司護佐丸によって築かれたといわれる。

護佐丸は当初、座喜味の北東約4kmにある山田グスクに居城していたが、1416年(1422年の説もあり)中山尚巴志の北山城(今帰仁城)攻略に参戦し、その直後、地の利を考慮し座喜味へ築城したといわれる。
座喜味城跡は1956年に琉球政府の重要文化財に指定され、日本復帰の1972年には国指定史跡となる。翌年の1973年から1985年の間、文化庁・沖縄県の補助を受けて城跡の発掘調査や城壁修理が進められて、日常的に歴史と触れあえる空間としてよみがえる。2000年12月2日には村民待望の「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の資産のひとつとして世界遺産に登録された(『
読谷村資料』)。

座喜味城跡は名護層を基盤とする標高120m余の丘陵に立地しており、ふたつの郭(一の郭と二の郭)からなる。それぞれの郭にはアーチ石門が造られており、アーチがかみあう中央にくさび石がはめられており、他のグスク等には類例がみられない。郭内の面積は城壁を含め7383㎡(2234坪)である。城壁は高い所で約13m、低い所で約3mである。城壁の石材は琉球石炭岩で、主に、「あいかた積み」手法を用いており、部分的に「布積み」や「野面積み」も見られる。城壁を上空からみると重厚で、曲線が多くとりいれられていることがわかる(『読谷村資料』)。

読谷村の高台に築かれたグスク(城)である。石積みで形成された態様は本土の城と明らかに造りが異なっている。縄張りに高度さは感じられなったが、石積みは素晴らしく見ごたえ十分であった。

 

 

(航空写真)

 

(【左写真】城跡公園の入口。【右写真】公園の案内図。駐車場も設けてある。④が城跡。)

 

(【左写真】城跡への道。この道も往時から使われていたのか?【右写真】高石積みが迎えてくれる。)

 

(【左写真】城跡入口。門が開いている。【右写真】どこまで復元したのか不明だが、立派な石垣。)

 

(【左写真】ひとつ目の郭。かなり広い。【右写真】裏口のような通路も見られた。)

 

(【左写真】さらに門が設けてある。【右写真】次の郭が本丸になる。)

 

(【左写真】基礎石が残っている。【右写真】郭を区画していたのか、石積みが残っている。)

 

(【左写真】かなり堅固な城と言えるだろう。【右写真】出郭のような場所があった。こちらには石垣は無いようだ。)

 

(城跡遠望)

 

  (2011年9月2日訪問)

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城と古戦場 

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