上山城

上山城(★★ 山形県上山市元城内)は、天文四年(1535)伊達氏の手から高楯城を奪還した武衛義忠が、ここ天神森に新たに築城して上山城(別名月岡城)と称したと伝えられる。

戦国時代の上山は最上氏の被領下にあったと見られ、置賜地方を領する伊達氏や、下っては上杉氏との領界の境目の城として防衛の最前線の基地となっていた。
元和八年(
1622)最上氏改易後は松平(能見)、土岐、金森、松平(藤井)各氏の居城となった。この内最も城郭・城下が整備されたのが土岐時代で、内外に二重の堀を巡らし本丸には居館、三階櫓、角櫓が聳え、その下段に二の丸北の丸を備え、東には枡形を伴った大手門を構えたその壮麗な姿が堀の水面に映えたという。
しかし、元禄五年(
1692)土岐氏の転封と同時に幕命により破却され、以後は入部した領主による部分的修復に止まり、旧に復することなく幕末を迎えた(『現地案内板』)。

城跡は神社や模擬天守が建ち、僅かに土塁や空堀跡が残るのみ。城跡付近に紫衣事件で上山に配流された沢庵が過ごした春雨庵が復元されていて興味深い。

 

  

(【左写真】なかなかすごい形の模擬天守。【右写真】本丸土塁。)

 

(【左写真】本丸は月岡神社となっている。【右写真】本丸虎口。)

 

(【左写真】本丸(左)と二の丸を隔てる空堀。【右写真】本丸(右側)と二の丸の空堀跡。)

 

(【左写真】二の丸(公園となっている。【右写真】春雨庵(沢庵が三年間過ごした)

  

  (2009年2月28日訪問)

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城と古戦場 

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