岩櫃城
岩櫃城(★★ 群馬県吾妻郡東吾妻町原町平沢) 吾妻八景を代表する岩櫃山(標高802m)の中腹東面にあるこの城は、年代は定かではありませんが、鎌倉時代初期のころ、吾妻太郎助亮により築城されたといわれています。 城郭の規模は1.4k㎡と上州最大を誇り、後に甲斐の岩殿城、駿河の久能城と並び武田領内の三名城と称されました。その後、斎藤氏の支配するところとなり、永禄六年(1563)武田信玄は上州侵略のため、重臣真田幸隆に岩櫃城攻略を命じました。ときの城主は斎藤基国(または憲広)といわれ堅城を利して奮戦しましたが、ついに落城してしましました。こうして岩櫃城は武田氏の手中に落ち、信玄は幸隆に吾妻郡の守護を命じました。 城跡は天険の要害・岩櫃山の中腹にあります。遺構も明瞭に残り、登城自体もそれほど厳しくないので、真田氏の活躍に思いを馳せながら攻城した。 |
(【左写真】本丸(居館)跡碑。【右写真】本丸を囲む土塁。)
(【左写真】本丸竪堀跡。【右写真】本丸北枡形虎口。)
(【左写真】本丸からの眺望。【右写真】腰曲輪(二の丸から本丸(左奥)に上がる通路で南面を守る)
(【左写真】二の丸(右)と本丸(左)の空堀。【右写真】二の丸跡(奥の北側が少し高い)
(【左写真】中城跡。三の丸にあたる。【右写真】中城脇の空堀。)
(【左写真】天狗丸跡の岩櫃神社(城の口の東側の台地にある)【右写真】城の口(登城口)
(【左写真】岩櫃山の岩壁【右写真】岩櫃城(中央)遠景(右奥が岩櫃山で城跡は中腹にあたる)
(2009年3月24日訪問)