吉川元春館

吉川元春館(★★ 山県郡北広島町志路原)は、毛利元就の次男である吉川元春が、天正十一年(1583)頃、隠居所として建てた館跡です。

本拠城である日山城の西南麓、志路原川に面した河岸段丘上に立地しています。

館は石垣のある東側が正面で、北は切岸と土塁、南側は堀と土塁で区画された間口110m、奥行き80mの範囲です。元春とその子元長の死後、当主となった元春三男広家が天正十九年(1591)、出雲国富田城に移ったため館の機能は失われ、元春の菩提寺として建てられた海応寺の寺領となりました。館の西側には元春の菩提寺である海応寺跡や元春と元長の墓所、積石塚が残っており、このうち館とその周辺を発掘調査し、整備しています(『現地案内板』)。

館跡は歴史公園として良く整備されている。特に館正面の門跡石垣は壮大。館奥には吉川元春・元長の墓所がある。

 

 

 

(【左写真】館東側の門跡石垣。【右写真】館南側の堀跡(幅約7m、深さ約1.5mの規模)

 

(【左写真】石切場跡。【右写真】台所跡(発掘された柱や屋根材をもとに再現)

 

(【左写真】庭園跡(石組や敷石遺構が良く残る)【右写真】門・築地塀跡(内部には書院造りの礎石建物跡がある)

 

  (2011年9月8日訪問)

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城と古戦場 

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