熊谷氏土居屋敷

熊谷氏土居屋敷(★ 広島県広島市安佐北区入南1丁目)

承久の変(1221年)で勝利をおさめた鎌倉幕府は、戦功のあった武将たちを西国各地の守護・地頭に任じた。
武蔵国熊谷郷(埼玉県熊谷市)の熊谷氏は、安芸国三入荘の地頭に任ぜられると、間もなくこの地に移り伊勢ヶ坪に城を築いた。その後室町期に入ってから戦略的により優れた高松山に本拠を進め、麓に屋敷を構えた。伊勢ヶ坪城から高松城に本拠を進めた熊谷氏が、天正十九年(
1591)毛利氏に従って広島に移るまで、平素使用していた屋敷・政庁跡である(『現地案内板』)。

背後に高松城(海抜高度339m)をひかえ、全面の根之谷川を天然の堀とした要害の地にある。屋敷跡の広さは約20アールと推定されるが、現在は、わずかにL字型に残る石垣にその跡をとどめる(『現地案内板』)。

変電所の裏の駐車場が屋敷跡である。石垣が残るのみ。

 

(門跡石垣が僅かに残る。)

 

  (2011年9月8日訪問)

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城と古戦場 

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