三入高松城
三入高松城(さんいりたかまつ・☆ 広島県広島市安佐北区可部町高松山) 熊谷氏は、承久の変(1221)の戦功の賞として、この辺りの安芸国三入庄の地頭職を与えられ、武蔵国熊谷郷(埼玉県熊谷市)から大林の伊勢が坪に移って来て居城を構えた。 この高松城は、徳川幕府が出した「一国一城令」(1615年)によって、跡形もなく取り壊された。山頂近くに本丸、二の丸、馬場(井戸跡がある)、鐘ノ段、明覚寺跡、与助の丸など大きい郭が残っている(『現地案内板』)。 熊谷氏土居屋敷跡の背後の山が城跡。時間の都合上、登城は断念した。 |
(城址遠景。標高339mの急峻な山城である。)
(2011年9月8日訪問)