長松城

長松城(岐阜県大垣市長松町)は、竹中半兵衛の一族が築いた城郭。

永禄元年(1558)竹中重元が揖斐郡大御堂より岩手に移る。この際、竹中源助重利は之に従い来て、重元の子である竹中半兵衛重治より三千石を領して此所に城を築いた。これが長松城である(『城址案内板』)。

戦国時代に竹中半兵衛は豊臣秀吉に仕え各地に転戦し、太閤秀吉も長松城に来ている。竹中源助は幾多の戦功をたて豊後国(大分県)高田城1万石に移る。
その後秀吉の家臣・武光式部が五千石を封じて入城する
(『城址案内板』)。

慶長五年(1600)関ヶ原戦役の際、武光式部は西軍・石田三成に属し、此所長松城で東軍を迎え撃つ。武運つたなく八月三十九日桑名方面に退去するに至った。東軍・一柳監物が入城して守るが戦後廃城となる(『城址案内板』)。

以後美濃の要地として使われ、末には飯沼慾斎が学問の地として住んだ(『城址案内板』)。

荒崎小学校に城址碑があるが、遺構は全くない。


(跡地の航空写真)

( 城跡碑 )

 

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