仁保城

仁保城(にほ・仁保島城とも・★ 広島県広島市南区黄金山町)の起源は不明ですが、室町時代の後期にはすでに実在したとされる。府中白井氏の支城であったといわれ、のちに大内氏に属し、さらに毛利氏の支配下におかれています。

この城は広島湾の重要拠点となっていたので、局地的な戦場となり、弘治元年(1555)の厳島合戦の際、陶軍が来攻し、城将香川光景が撃退したなどの話が伝わっています。

現在テレビ塔のある山頂付近が城の主要部があった場所です。遺構が消滅しているので、詳しい規模はわかりません(『現地案内板』)。

黄金山が城跡で、局部的に石積み、郭跡が残るものの遺構はほとんど無い。頂上本丸部分はカップルのラブ・プレイスであったため足を踏み込む事を躊躇した

 

  

 (【左写真】山頂にはテレビ塔が建つ。)【右写真】城址から広島湾を見下ろす。)

(城址遠景)

 

  (2011年9月9日訪問)

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城と古戦場 

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