草津城
草津城跡(★ 広島県広島市西区田方)は山陽本線と宮島線電車の開通により三分された。戦国時代には西は海老山、厳島、南は能美島、江田島、東は五箇荘江波山、海田市も見渡せる重要な所であった。 草津城がいつごろできたかはっきりしないが、康生二年(1456)武田信賢が草津城を攻め落とし、改築して城としての形が整ったといわれている。その後、新里式部少輔(大内氏)→羽仁有繁(陶氏)→児玉周防守就方(毛利氏)→児玉就英→児玉元昌と城主が変わった。 城跡は住宅地の丘にある。鉄道と道路で城跡が見事に分断されています。遺構はほとんど見られないようだ。 |
(【左写真】本丸にある城址碑【右写真】本丸からの眺望)
(城址遠景)
(2011年9月9日訪問)