岩国城

岩国城(★★ 山口県岩国市横山)

岩国に移った「吉川広家」は、要衝の地横山の山頂に要害を、山麓に居館を築くことにし、慶長八年(1603)に山頂の起工式を行い、同十三年(1608)に岩国城が完成しました。
横山の三方を迂回する錦川は天然の外堀で、川向こうに町割りを行い、城下町が形成されていきました。緑の山頂にそびえる白亜の天守は、3層4階の上に物見を置くという、桃山風南蛮造りの山城で、藩の象徴として仰がれていましたが、元和元年(
1615)、幕府の「一国一城令」により、完成からわずか7年で破却の運命に見舞われました。
以来、山下の居館だけで藩政治が行なわれました。第2次世界大戦後、岩国城再建の動きが活発になり、市民より多くの募金が寄せられ、復元されることになりました。再建された岩国城は、錦帯橋からの景観を考え、本丸南側に移動させました(『現地案内板』)。

旧来の位置をずらして再建された天守は気になるが、城下町全体として遺構を楽しむべきであろう。

 

 

 

 (【左写真】復元天守台(当時の石垣を使用し、古式穴太積みの技術が生かされた)【右写真】天守からの眺望(眼下に錦川と錦帯橋を見下ろす)

 

 (【左写真】二の丸跡(城址公園の広場となっている)【右写真】二の丸跡に残る石垣。)

 

 (【左写真】再建天守(山麓からの景観を考え、旧来の南側に移動させて再建)【右写真】大釣井(非常時の武器保管、脱出口も兼ねたという)

 

 (【左写真】出丸跡。【右写真】大手門跡。)

 

 (【左写真】空堀跡(幅約19.6m、深さ約10mの日本最大の箱堀構造)【右写真】香川家(家老)長屋門。)

 

 (【左写真】居館跡に建つ錦雲閣(明治時代に建造された絵馬堂)【右写真】山麓の錦帯橋。)

 

 (【左写真】錦帯橋から城址を眺める。【右写真】城址遠景。)

 

  (2011年9月9日訪問)

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